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東京高等裁判所 昭和54年(ラ)731号 決定

抗告人

有坂登志彦

右代理人

斉藤尚志

相手方

苗川岩雄

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の要旨は、

抗告人は、抗告人を控訴人、相手方を被控訴人とする東京高等裁判所昭和四九年(ネ)第一、九八一号事件につき、昭和五一年八月五目、「被控訴人は控訴人から金五〇万円の支払を受けるのと引換えに控訴人に対し別紙物件目録記載の建物につき昭和四三年一一月二日付売買を原因とする所有権移転登記手続をなし、かつ、右建物を明け渡せ。」との判決の言渡しを受け、該判決が確定し、昭和五二年四月二日他の確定判決に係る抗告人の相手方に対する五〇万円の貸金債務をもつて前記五〇万円の債務と対当額で相殺し、該引換給付義務が履行されたこととなつたので、同年五月一七日裁判長の命令による執行文の付与を受け、昭和五四年四月二日右執行力ある判決正本に基づき、東京地方裁判所執行官に対して別紙目録記載の建物明渡しの強制執行を申し立てたところ、執行官森猛は、執行開始の要件が具備されていないとの理由で、当該手続を中止し、原裁判所もまた、抗告人の右執行官の執行方法に関する異議申立てに対し、執行開始の要件としての反対給付は相殺の方法によつてはなし得ないとの理由で、右執行官の措置を是認し、抗告人の異議申立てを却下した。しかし前記引換給付義務が履行されたことは、前叙のごとく裁判長の命令による執行文が付与されたことに徴して極めて明白であり、しかも、裁判長の命令による執行文の付与がなされている以上、執行官としては改めてこの点の調査、判断をなす必要もなければ、また、その権限もないものというべく、前記執行官の措置を是認した原決定は、これを取り消すべきである

というのである。

そこで、審按するのに、本件債務名義における金五〇万円の支払義務が移転登記手続をなす義務のみならず建物明渡し義務とも同時履行の関係にあることは、疑いを容れないところである。しかし、移転登記手続をなす義務は、意思の陳述をなす義務であるから、それについては現実の執行開始がないところから、民訴五一八条、五二〇条の規定に従い、前記引換給付義務を履行したことを証明する書面に基づき、裁判長の命令により、裁判所書記官が執行文を付与したときに、執行が完了することとなる(民訴七三六条参照)。これに対し、建物明渡し義務の執行は、一般の強制執行に属するので、前記引換給付義務の履行の提供の有無は、執行開始要件の存否として、執行手続開始の際、執行官においてこれが調査、判断をなすべきである。このように、両者は、ひとしく前記引換給付義務の履行ないしは履行の提供が執行開始の要件となつているとはいえ、執行の方法及び機関を異にするのであるから、前者の執行について前記引換給付義務の履行ないしは履行の提供が証明されたからといつて、後者の執行手続開始の際、執行官は、所論のごとく執行開始要件としての前記引換給付義務の履行ないしは履行の提供があつたものとして取り扱うべきではなく、自らの責任において、この点の調査、判断をなすべきものといわなければならない。

ところで、所論摘示のごとく前記引換給付義務の履行の証明があつたことは、前者の移転登記手続をなす義務の執行に関してであること、当該執行文の付与が裁判長の命令によるものであるという抗告人の主張自体に徴して明らかである。それ故、後者の建物明渡し義務の執行については、改めて、抗告人において前記引換給付義務の履行ないしは履行の提供があつたことを証明しなければならない。ところで、執行開始の要件たる引換給付義務の履行ないし履行の提供の有無は、執行官において判断するものである以上、その証明ありとなすには、民訴法五二九条二項の規定に準じて、履行ないし履行の提供が容易かつ確実に認定できる事由によつてなされた場合に限られるものというべく、相殺は、その要件、意思表示の存否及び効力等についての実体的な判断を要するものであるから、執行債務者のこれを認める旨の書面が提出される等特段の事情のない限り、執行開始要件としての引換給付義務の履行ないし履行の提供を証明し得る事由とはなり得ないものと解するのが相当である。しかして、右特段の事情についての主張、立証のない本件において、執行官森猛が建物明渡しの強制執行を中止したことは相当であつて、抗告人の本件抗告は理由がなく、これを棄却すべきものとする。

よつて、主文のとおり決定する。

(渡部吉隆 柳沢千昭 中田昭孝)

別紙物件目録〈省略〉

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